とうとう引退してしまいました。我ら世代が憧れた選手の一人でしょう。同じ歳の現役プロ野球選手として、ってお前はプロじゃないやんといわれりゃそれまでですが。まあ、野球していた身としては色々と思うところがあるわけですよ。
宮崎県立日向高校の青木。無名高校の140㎞出せる投手でチームの中心選手。当時から名前だけは知っていました。報知高校野球とか読み漁ってたんで。
後に、日向高校の彼の同級生と予備校で一緒になり、青木選手が早稲田のセレクションで「ホームラン打って来たよ」と言っていたとかいう話を聞いて、やっぱすごい選手なんだなあと思ったのは懐かしい思い出です。
第一回WBCの練習試合が福岡ドームであり、その時にレフトを守っていたのが青木で、私たちがレフトスタンドから大声でなんか言ったときに、こちらを振り向いたんですが、よほど響いたんでしょう・・って何の話だってね。
当時大学生の私はよく福岡ドームに言っており、スワローズの「あ・お・き!ドンドンドン」の掛け声とリズムの独特な応援歌は交流戦の時の楽しみでした。ビニール傘が咲き乱れるレフトスタンド。もちろん彼の名前の入ったユニフォームで。
体格的にも大きいわけではなく、ものすごく目立つかと言われればそうではないが、ヒットはもちろん時に一発もあり、足も速い。なかなかアウトにならないいやらしさもあり、外野の守備も良く素晴らしい選手でした。小さな大選手とでもいいましょうか。
200本安打2回なんてとんでもない数字を残しているのは彼だけ。記録の上でも素晴らしい。
まだまだ、スワローズにいるような気がしていましたが、やはり色々とケガだったり、頭と身体とのずれだったりということがあるんでしょう。いつか来ることなので仕方ないんだけど、なんか寂しい。しかし、またなんらか野球に携わる彼をみることができるしょう。
それはそうと、引退試合のヒットは彼らしいもので、今までのリプレーを見ているかのようでしたね。いつまでも名残惜しそうな神宮球場。最後にお客さんの花束を受け取っていましたね。外野の通路から出ていく彼の姿が、まだ頭に残っています。これだけの見送られ方、どれだけ大きい存在であったかがわかります。
自らユニフォームを脱げる選手、引退に花を添えられる選手は一握り、引退試合・セレモニーができる選手は一つまみですが、彼に相応しい立派な花道だったと思います。21年間のプロ野球生活お疲れさまでした。